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評論家・阿部嘉昭 様のブログより(4月19日)


 昨日試写で観た渡邊世紀監督

『VEIN・静脈』『人形のいる風景』の二本立てが大傑作でした。

後者は等身大のエロチックな女人形を、
黒子衣裳をかなぐり捨て異形の白塗りか面すがたで扱うことで
人形との凄惨な交接幻想を自己愛の不可能性の文脈でつくりあげる
土俗的な人形遣い・岡本芳一(百鬼どんどろ)、
その秘術と死ぬまでの生き様を追ったドキュです。
往年の土方巽が四谷シモンの人形と踊るような、
そんな複合性幻想の生まれる瞬間がありました。

岡本さんと渡邊監督がよく出会ったとおもう。
そういう「出会い」の幸福感が、
そのままドキュメンタリーの成功ともなります。

前者はその岡本さんの遺作舞台を映画に置き換えたもの。
ケネス・アンガー+ジャン・ジュネ+大和屋竺風のアヴァンギャルド、
少女凌辱と再生の繰り返しが痛ましい
「包帯萌え」「球体関節」の幻想映画でした。
こちらは泣けて泣けて仕方がなかった。
人形の表情がそうさせるのです。

その意味では人形遣いに肉薄しての文楽の映画化ともいえるものです
(川本喜八郎的な人形アニメとは異なるので注意)。
最近では北野武の『dolls』、
往年では溝口の『近松物語』などを髣髴とさせますが、
密室と隧道と雪景色と人形工房、
それだけの「あり合わせ」で撮影を敢行したのがすごい。
レンブラント光線型の「照明の詩性」にも気づかされます。

能の橋かがり的なものまで利用したスローモーな時間の湧出という点では 
ダニエル・シュミットの『今宵かぎりは…』もおもわせます。 
もちろん人形への熾烈な観念論という要素でいうなら 
間近な例では押井守『イノセント』とも拮抗する。 
ともあれすべての「アート幻想」がここでは豊饒に合流しています。 

岡本さんの指定する音楽ももともとすごい。
ふたつのながれがあるとおもいました。
ひとつは寺山修司=天井桟敷型の和物前衛。
もうひとつは、プラスティック・ピープル・オヴ・ユニヴァースから
ドゥルッティ・コラムに代表される80年代ニューウェイヴの
ヴァイオリン・ミュージック。
ただし、『VEIN』では男女混声アリアが圧倒的でした。
すべて音楽によって人形遣いの「作劇」が増幅されている面があって
音楽ファンも必見だとおもいます。

 

今年試写で感銘を受けた邦画の二本目です。
この二本立て興行は六月下旬から渋谷アップリンクで。

 

阿部嘉昭

評論家、詩作者、立教大特任教授(サブカル論)。

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