新しい上映情報コメントレビューをご覧ください。

監督・渡邊世紀より  

  

僕の大親友の妹さんが、3年前に摂食障害で亡くなりました。

まとまな食生活ができない病気です。

痛々しい程、痩せ細っていましたが、僕に会う時は

いつも笑顔を見せてくれました。

映画を作る前、初めて舞台版「VEIN」を観た時に、

僕が想ったのは彼女のことでした。

血管が剥き出しの人形の痛々しさから魂の叫びが聞こえました。

あの人形がずっと親友の妹に見えていました。

だからあの人形は僕にとってはすごく可愛いのです。

それまでの岡本さんの作品は僕にとって素晴らしい「アート」でしたが、

VEIN」はもっと自分自身に近い気がしたのです。

 

VEIN」は、愛し合いながらも、分かり合いたくても分かり合えない、

決してお互いを救うことのできない二人を描いている作品だと思います。

「愛」なんてロマンチックでも何でもない。

でも、それが愛の「厳しさ」であり、それでも間違いなく

それは「愛」なのです。

少なくとも僕にはそういう作品でした。

 

長い間、入退院を繰り返し闘病生活を続けて自分の人生が

思い通りにならない親友の妹は、激しく感情を家族にぶつけました。

それでもひたすら彼女を支え続けたのはお母さんでした。

この母と娘の関係はまさしく「VEIN」の二人のそれでした。

そのお母さんが、娘さんとの壮絶な闘病生活を綴ったブログがあります。

「少女の憎しみと愛」

http://ameblo.jp/yakoyako0406 

そこにあるのは、ただひたすら、ひたむきに娘と「生きていこう」とする

母の想いと、

母を愛するがゆえに、自分の怒りも哀しみもすべて母に

ぶつけようとする娘の、愛の「厳しさ」なのです。


互いを想いながらも、決して分かり合うことのできない「愛」の形。

それでも必死で相手と向き合おうとする。

これこそが僕が一貫して映画の中で描こうとしてきたテーマだったのです。

きっとそれは、幼少の頃から見て来た自分の家族の関係性などから

僕に染み付いたテーマなのだと思います。

 

そんな、「愛」を求め、「愛」と上手く向き合うことのできない人に、

やり場のない痛みと哀しみを抱えている人に、

VEIN」を観てもらいたいです。

VEIN」には答えはありません。

でも何かを感じてもらえると思うのです。

通常の映画とは違う、人間と人形が創るドラマという表現に、

より深く伝わる何かがあるような気がしています。

観た人が自分の人生と向き合う何かのきっかけになれば嬉しいです。

これが、作品を作る上で、僕自身が「VEIN」に込めた想いです。

 

 

 

そして「VEIN」には、自分が考える「映画」という表現の

すべてがありました。

自分が作りたいのは、「ストイック」な映画です。

僕が言うストイックというのは、大袈裟な演出や説明を極力排除した

表現のことです。

もともと、どんどろの演目にそれを感じていましたが、

VEIN」では、華やかな舞いもなく、

岡本さんと人形がただそこにいるだけです。

にもかかわらず、とてもドラマチックな要素が溢れているのです。

それをどう切り取って、映像で伝えていくか、

映画にしかできないことをどう見せていくか、

僕は自分が追い求める表現を岡本さんと突き詰めてみたかったのです。

 


映画「VEIN-静脈-」は完成し、そして岡本さんはもういない。

 


考えてみれば、僕は岡本さんのプライベートや

深い部分をほとんど何も知りませんでした。

VEIN」が生まれた経緯さえ詳しくは知らない。

それを知ろうという気も実はあまりなかったのかもしれません。

VEIN」という作品を通して、岡本さんをわかってるつもりでいたから。

 


そして今も、岡本芳一の本質は「VEIN」の中にあると思っています。